2016年6月。人生の節目とも言える45歳のステップアップ休暇を利用し、スペイン北西部にある都市サンティアゴ・デ・コンポステーラを目指す巡礼の旅に出た。今年はローマ教皇によって特別聖年が発せられ、サンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂の「聖なる門」が開かれる特別な年。そんな特別な年に巡礼の道を歩くことになった事は何かの運命と思いつつ。本ブログはその旅の記録を綴ったものである。
2016年6月29日水曜日
ポルトマリン(Portomarin)
サリア(Sarria)
いよいよ巡礼のスタート。サリアという街から出発。街中を歩きしばらくすると森の中に入る。ここからは丘陵地帯。森と畑、牧場といった牧歌的な風景が続く。巡礼路は、ほとんどが舗装されていない細い道を歩くことになる。ここで巡礼者とって大切な言葉とモノを紹介したい。
一つ目は「Buen camino!(ブエンカミーノ)」という言葉。スペイン語で「良い巡礼を」という意味である。巡礼者同士がすれ違う時の挨拶になっている。巡礼中は世界各地から来た巡礼者に出会うことができる。多くはヨーロッパ諸国からの巡礼者が多いが、アメリカや中南米、オーストラリアから来た巡礼者にも出会った。アジア人とはほとんど出会うことはなかったが、どこの人であろうがみんな「ブエンカミーノ」と声を掛け合う。
二つ目は「Mohon(モホン)」。モホンは巡礼路である事を示す標識でサンティアゴまでの距離が記載されている。分かれ道であれば、必ず設置されているので道に迷うことはほとんどない。
三つ目は「La Credencial(クレデンシャル)」。クレデンシャルはいわゆる巡礼手帳で、巡礼途中のスタンプを押していくための手帳である。スタンプは教会やアルベルゲ、カフェやバルなどにある。1日2個以上押す事が最後に巡礼証明書をもらうための条件となる。

一つ目は「Buen camino!(ブエンカミーノ)」という言葉。スペイン語で「良い巡礼を」という意味である。巡礼者同士がすれ違う時の挨拶になっている。巡礼中は世界各地から来た巡礼者に出会うことができる。多くはヨーロッパ諸国からの巡礼者が多いが、アメリカや中南米、オーストラリアから来た巡礼者にも出会った。アジア人とはほとんど出会うことはなかったが、どこの人であろうがみんな「ブエンカミーノ」と声を掛け合う。
二つ目は「Mohon(モホン)」。モホンは巡礼路である事を示す標識でサンティアゴまでの距離が記載されている。分かれ道であれば、必ず設置されているので道に迷うことはほとんどない。
三つ目は「La Credencial(クレデンシャル)」。クレデンシャルはいわゆる巡礼手帳で、巡礼途中のスタンプを押していくための手帳である。スタンプは教会やアルベルゲ、カフェやバルなどにある。1日2個以上押す事が最後に巡礼証明書をもらうための条件となる。
アルベルゲ(Albergue)
セブレイロ峠(Cebreiro)
標高1,300mの峠の集落セブレイロ。ここからガリシア地方の美しい景色が望める。ガリシア地方は大西洋からの湿った空気が流れ込む場所にあり天候が変わりやすく雨も多い。従って森も深くどこか日本と似たような景色であると感じる。これまで持っていたスペインのイメージとは全く違うものである。
この村も巡礼路の上にあるのでアルベルゲがある。私はバスで来たがアルベルゲにいた巡礼者たちは歩いて来たのだろう。ここに着いたのは午後3時を過ぎていただろうか。巡礼者たちはバルで一息着いた後のビールを楽しんでいた。
村の小さな趣のある教会に行くと、飛行機が描いた雲が素晴らしい空を見せてくれた。サンティアゴ巡礼の象徴であるホタテ貝のようにも見えて思わずカメラのャッターを切った。つくづく自分はラッキーである。
この村も巡礼路の上にあるのでアルベルゲがある。私はバスで来たがアルベルゲにいた巡礼者たちは歩いて来たのだろう。ここに着いたのは午後3時を過ぎていただろうか。巡礼者たちはバルで一息着いた後のビールを楽しんでいた。
村の小さな趣のある教会に行くと、飛行機が描いた雲が素晴らしい空を見せてくれた。サンティアゴ巡礼の象徴であるホタテ貝のようにも見えて思わずカメラのャッターを切った。つくづく自分はラッキーである。
レオン(León)
次の訪問地はレオン。スペイン北西部、カスティーリャ・イ・レオン州レオン県の県都。この街もサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路途上に位置する。中世にはレオン王国(アストゥリアス王国)の首都が置かれていたため、有名なゴシック様式のレオン大聖堂やその他多くの建造物が残っている。
西ゴート王国滅亡後イベリア半島はイスラム教徒に支配されていたが、イスラム教徒の支配下では税を支払う代わりに西ゴート式の典礼を維持した「モサラベ」と呼ばれたキリスト教徒たちがいた。アストゥリアス王国は西ゴートの後継者を自認し宗教的政治的目的からイスラム諸国に対抗したが、それがレコンキスタ精神に直接つながるものと考えられている。
西ゴート王国滅亡後イベリア半島はイスラム教徒に支配されていたが、イスラム教徒の支配下では税を支払う代わりに西ゴート式の典礼を維持した「モサラベ」と呼ばれたキリスト教徒たちがいた。アストゥリアス王国は西ゴートの後継者を自認し宗教的政治的目的からイスラム諸国に対抗したが、それがレコンキスタ精神に直接つながるものと考えられている。
レオン大聖堂は、ブルゴス大聖堂に次ぐスペイン・ゴシック様式の教会であり、世界最大級のステンドグラスのコレクションを有する。この教会で大きなバックパックを背負った日本人女性の学生に出会った。彼女は外国人の女性二人で巡礼の旅をしているという。フランスからピレネーを超えてきたらしい。ここまで500km。そして、ここからサンティアゴ・デ・コンポステーラまではまだ300km以上ある。素晴らしい経験だ。
ブルゴス(Burgos)
最初の宿泊地ブルゴス。カスティーリャ・イ・レオン州・ブルゴス県の県都。サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路途上に位置しており、街中を歩いていると巡礼者をあちらこちらで見かける。
この街は古代よりケルト人の集落が存在していたが、9世紀末、アストゥリアス王国(レオン王国)によって城塞都市が建設された。標高850メートル程度の丘陵地帯に位置しており、レコンキスタ初期における軍事上の根拠地となる。11世紀よりカスティーリャ王国の都となる。スペインにおいて英雄視されている中世の軍人エル・シッドの出身、活躍の地とされ、街にはエル・シッドの像が建てられている。
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